我が家にテレビはないけれど、三晩連続でテレビ番組を見た。いまばやりのネット配信などではなく、早朝の夢の中で。

一昨日は探偵の娘さんが犯罪に巻き込まれるサスペンス、昨日は都会の片隅の恋の物語、今朝は歌番組だった。

では夢の中のテレビジョンの話から。

生放送の進行が狂って、さあ大変

歌番組は生放送で、司会は氷川きよし似の男性。なにやら電話で、今から中継地で歌う予定だった女性歌手のことで、現地の人と揉めている。氷川似の司会男性が、しばらくの間、先方の話を辛抱強く聞いているシーンからテレビは始まる。

電話を切る氷川似司会。

「。。大変残念ですが。 またの機会に、歌っていただきたいと、 思います。」

進行が切り替わり、次の歌手の歌う歌のイントロが流れ始め、別の男性歌手がゆっくりと登場する。テレビでよく知られた男性だ。男性歌手が舞台の中央に進み、ポーズを決め、歌い始めようかというそのとき。傍らで、男性歌手のポーズを鏡写しで逆向きに決めた氷川似司会が、別の歌を歌い始める。

会場にとまどいが漂うが、内心誰よりも驚いているのは、今しも歌おうとしていた男性歌手。しかし、彼も経験豊富な業界人らしく、何食わぬ顔でポージングをしながら、自分の歌を歌い始める。氷川似司会は、氷川似司会で、男性歌手の逆モーションでポージングをしながら、別の歌を歌いつづける。なぜか、破綻することなく、うまく掛け合いが続き。テレビ画面の下に流れる歌詞のテロップも、青とピンクの、男女のデュエット曲をカラオケするときによくあるようなテロップとして流れていく。予定されていた進行がそうであったのごとく、歌の掛け合いが続く。

ここで会場は、どうやら氷川似司会は、先の女性歌手とも共演する予定だったらしく、彼が歌っているのはその予定していた女性の歌らしいことに気づく。今歌っている男性歌手と氷川似司会は、顔が似通っているが、女性歌手とも実は似通っている。ものまねの歌番組で、ものまね歌手が歌おうとしたそのときに、本物の歌手が登場してしまい笑いと感動を誘うというネタの、逆バージョンが予定されていたのだ。しかし、狂ってしまったのは、氷川似司会がハプニングに混乱して、先に予定していた歌を歌い始めてしまったということだ。

さて、ようやく氷川似司会も、自分の間違いに気が付いた。男性歌手が、チラと氷川似司会を見やる。そこで、歌の小節が切り替わる。今度は、今流れている曲本来の歌を、二人で歌い上げる。

テレビを見ていた私も、テレビの中の会場スタッフも、おそらく全国の視聴者も、ここにきて思わず大拍手。

「おおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜」

たとえ間違っていても、大喝采

ふと、夢が醒めた。あたりはまだ薄暗い。気づくと、隣で寝ていたユカも目を覚ましている。めずらしく夢の内容をはっきりと覚えていた私は、今見たテレビ番組について話し始める。面白くて仕方がない。それを聴いていたユカに、それはなんのビジョンだったの?ということを訊かれる。そこで、私の中に流れた言葉が次のものだ。あー、前置きが長かった。

たとえ間違っていても、見事にやり遂げれば、大喝采。

当初の筋書きとは違ってしまったとしても、見事にやり遂げたらば、満場が感動の渦に包まれる。そこには、間違いの指摘や揶揄などではなく、感動の大喝采が訪れるということ。

まさか、夢にテレビを見て、そしてこんなことを教えてもらえるとは、いやはや。

できる。やれば、何らかのことが。見事にやり遂げれば、何らかのことが、感動を呼ぶ何かのことが、必ずや成し遂げられるであろうぞ。

勝手な解釈だけど、とにかく、そういうビジョンを得た。あー、面白い。ヽ(´▽`)ノ

もうひとつの解釈

ビジョンをどう解釈するか。もうひとつの側面があることに、気づいた。

テレビの視聴者というのは番組の進行に責任を負わず、無責任であるから客観的に番組を楽しめる。楽しみたくて見ているとも言える。しかし、例えば番組のディレクターだったら、さぞかしイライラした気持ちだったろうと思う。百戦錬磨のハプニングを楽しんでしまえるディレクターも、もちろんいるだろうけど、私だったらイライラしていただろうな。素直に感動して、拍手喝采できていたかどうか。

昨晩は、ユカが忙しい日々の合間の一日を利用して私の誕生日を祝ってくれた。この日はどんなメニューもリクエストして食べてよい日にしようという提案を受けて、チョコレートケーキと中華蒸しおこわと煮豆を頼んであった。朝から一生懸命に料理をしてくれているユカを見ながら薪割りに精を出し、夕方見かねて手伝いをし、さあ夕宴となったとき、私はとても不服だった。オーダーした料理は完璧に作られて並んでいるのだが、それ以外におかずのない状態に、がっくりしてしまったのだ。チョコレートケーキを両手に持ち、誕生日の歌を歌いながら席につくユカを、私はイライラした気持ちで迎えてしまった。

ユカは見事に料理をやり遂げたのだ。しかし、見届ける側の私が、覚めた状態で見届けることができていなかった。ゆっくりと料理を楽しむことなく、食事を終わり。ケーキも食べてしまい。物足りない、満ち足りない想いだけが残ってしまった。最後にふと気づいて、

「もう一度、ゆっくりとケーキを食べよう」

やっと、ケーキを味わい、ユカの見事さに感謝する時間を、かろうじて持てた。

たとえ間違っていても、見事にやり遂げれば、大喝采。

という状態は良い、と思う。そうなるべきだと思う。しかし、それには、やり遂げる人と、それを見届ける側の双方に、求められるものがあるのだということ。見る側が、自分の不服に振り回されていては、文句で終わってしまうけれども、自分のことは置いといて、客観的に、覚めた者として見届けたなら、感動が訪れる。そういうことなんだろう。

言い直すかな。

たとえ間違っていても、見事にやり遂げた人を、覚めた者が見事に見届けたならば、そこには大喝采が起きる。

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