千葉大学の学生達が千葉アートネットワーク・プロジェクトの一環で「能登再生フィールド学」というお題目でもって、昨年横山集会所で1週間寝泊まりして、いろいろと調査をしていった結果をまとめた冊子が届いた。珠洲市のお年寄りは「珠洲で生きるための作り出す力」をもっているということ。「作り手と関わることのよさ」を知っているということ。人とつながるコミュニティー。そういうものが現状で十分に魅力的だと分かり、学生達にできるのはそれを外部に発信することぐらいでしたというようなレポートだった。

以下「プロジェクトを振り返って」という章からの抜粋。

私たちが目の当たりにしたのは、過疎や少子高齢化が進む中、自分たちのことは自分たちでやりながら、住民同士が助け合って生活している健全なコミュニティーでした。これは、都市に住む私たちが失った能力や他者との関わり方だと感じました。(中略)「過疎=ネガティブ」と安易に考えていた私たちは、想像とは全く違う地域の姿に向き合うことになり、「この地域に対し何かをする」のが容易でないことを理解しました。

結果的に私たちにできたことは、珠洲市が今のままでも十分に魅力あふれた場所であり、そこから私たちがどれほど多くのことを学んだのかを伝えるということぐらいだったのかもしれません。(中略)とはいえ、高齢化がさらに進めば、私たちが評価し、ひきつけられた地域の魅力を維持することは難しいと思われます。持続的に発展するためのアイデアは簡単に見つけられるはずもありませんが、引き続き考えていきたいと思います。

田舎は既に素晴らしい

私はこの文章を読んでも、よくある話くらいにしか思わなかったが、ユカの感じ方は違っていた。

私が上手く表現できずにいたことが書いてある。

地域興しというと田舎は過疎高齢化率が高く、また不便で、つまり「悪い」状態だから「変えなければいけない」「現状を打破しなければいけない」という発想が伴いやすい。しかし、いや実は現状のままが既に素晴らしいんだという発想の転換が書いてある。

え、じゃあ地域興しの必要ないじゃん。

そう。

必要なのは、田舎に住む人が、オラとこ最高って自信を持って、子や孫に伝えていくこと。お前いい大学出て偉くなってこの田舎を変えてくれ、とか絶対に伝えないこと。

これで多分、結果的に田舎が変わる。変える必要がないのに変わるって変な話だけど、多分そういうこと。

集落を遊ぶ

横山は毎年、つと納豆を1000本も作って販売したり、案山子を50体も作って立てたり、蕎麦祭りをやったりしている。そうこうことをしていると「地域興し」ですか?と聞かれるんだけど、なんか違和感があった。違うんだよな。これ、全部遊びなんだ。集落の人が集う真剣な遊び。地域のコミュニティーがつながっていくための大事な遊び。別に地域を変えようとか、これっぽっちも思ってない。

祭りもね、新参者のオレが言うと反感もあるかもしれないけど、神事とかいってるけど、長年続いてきたのは、これ真剣な遊びだからだと思う。地域の、とくに若い衆の連対感を強める、大事な遊び。

真剣に遊んで地域を楽しむってことか。そうか、そういうことだったのか。

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