今年は平均すると寒いのか出穂が遅れているということを話していたら、奥能登農林事務所のHさんが「今年の気温が例年並なんです」と教えてくれた。ここ何年か異常に暑い夏だったらしい。あら、そうなのか。

そしたら、9月1日頃は雑節「二百十日」で、稲の開花・結実期だという話にも行き当たった。

明日は旧暦では二百十日といって、立春から数えて210日目になります。二百二十日とあわせて、稲の開花時期と台風時期が重なるため農家の厄日とされていたらしいです。

二百十日の畑の様子 : 北鎌倉の無肥料自然農法の畑から

おやまあ、自然に発芽した稲はお盆には出穂しないんかね。

ところで出穂期ってなに?

出穂期(しゅっすいき)とは、穂を形成する作物において、4〜5割の穂が出穂した時期のこと。イネでは田植えをしてから早稲(わせ)では50日、晩稲(おくて)では80日後ごろである。

出穂期 - Wikipedia

あ、こんなことも知らなかった。日数のところ。

もうちょっと調べる。昔の稲はいつ頃に出穂していたんだろうか。

天明二壬寅三月はじめより雨降りだし、(中略)同三癸卯正月十六日大雪、(中略)三月二三、四日種蒔き、五月十四、五日方より田植え。(中略)五月十三日方より田植えはじまり、六月下旬頃は早稲出穂あるべき日数なれども、

「天明救荒録」磐城国(福島県)相馬中村藩 天明3年(1783)

通常、出穂始~出穂期までは2~3日(出穂期とは、穂揃期とは、いつのことをいうか/当面の管理 | JA岡山東なので、太陰暦で5月13日の50日後は7月3日、6月下旬に出穂を始めたら出穂期はこのあたりになる。

ふむふむ。

松山付近の稲の植えつけは、和気郡堀江村の場合、元禄一二年(一六九九)は五月一四日(植え始めは湿田、以下同様)から六月一三日まで、宝永三年(一七〇六)は五月二日から同一六日までであった。さらに享保年代に入って、同三年は五月一五日から同二六日、六年は五月二〇日から六月三日までに植えつけられている。(『松山市史料集』5)。この植えつけの時期を新暦に換算すると、六月中旬~七月上旬に当たっている。享保一七年の場合も、長雨で田方の植えつけには都合がよかったと記している(「増田家記」)ので、植えつけの終了は、これらの年と大差なかったものと思われる。

収穫が望めなげれば、できる限り早期に畑作物に切り替えるのが得策である。松山藩は七月一二日藩役人の吟味によって、菜・大根・蕎麦等の勝手作が許可された。吟味時期は出穂期が選ばれ、早稲については、和気郡は一四日、風早郡は一五日に実施されている(古三津村庄屋御用日記)。

ウンカによる損毛は、地域によって多少の違いはあったが、晩稲の出穂時期に当たる七月二〇日ごろには、大凶作は現実の問題となった。 享保飢饉 | えひめの記憶

この日付を新暦に訳すと、享保三年の田植えは6月12日から7月10日、享保六年の田植えは6月14日から6月27日、享保十七年の出穂期は早稲が9月2日ごろ、晩稲が9月8日ごろだったようだ。なんか早稲が遅いな。

享保十七年の田植えが西暦1732年の6月12日から6月24日だったとして、和暦では五月二十日から閏五月三日。これを元に田植え日からの日数を数えたい。享保十七年は閏五月があったんだな。どうやって日数数えたらいいんだ。和暦の1ヶ月は30日だから、田植えを五月二十日にしたら早稲出穂期七月一四日は84日後、晩稲出穂期七月二〇日は90日後。田植えを閏五月三日にしたら早稲出穂期七月一四日は71日後、晩稲出穂期七月二〇日は77日後。どっちにしろ早稲が遅いな。そもそも享保十七年早稲と晩稲の出穂時期が六日間しか経ってない。

ちょっとこれあいまいだな。

我が家の稲に当てはめると?

品種 田植え 出穂始 日数
若草もち 6/25-27 8/28 64日
カグラモチ 6/27-30 8/26 60日
赤モチ 7/3-7/4    
カンクロ 7/5    
カンタン 7/7 8/23 47日
香り米 7/7-7/8 8/23 47日
黒米 7/8 9/1 55日
イセヒカリ 7/9    

あんれまあ。ちゃんと計算したらまずまず標準的な日数だった。のうけんによると京都市での田植えから出穂期までの日数は、カグラモチ59日、若草もち72日、イセヒカリ67日、コシヒカリ61日。コシヒカリは中稲と言われているので、カグラモチやイセヒカリも中稲。若草もちがやや晩稲というところなんだな。

では、いつ頃までに出穂すれば年内の刈入れに間に合うのだろうか。

出穂の遅延にともない登熟期間の気温及び日射量が低下するため、登熟不良が懸念される(太田1970、丸山ら1985)。各地で出穂晩限が設定されているので、これを参照する。一般的には、出穂晩限は出穂後40日間の平均気温が20~21°Cを下回らない時期となる。

作物研究所:水稲の晩植栽培における技術的留意点 | 農研機構

40日間の平均気温を出すのは面倒なので、珠洲でその年平均気温20℃を記録した最後の日を調べてみる。

  • 2013年10/11
  • 2012年10/3
  • 2011年10/22
  • 2010年10/10
  • 2009年 9/28
  • 2008年 9/20
  • 2007年10/2
  • 2006年10/5
  • 2005年10/2
  • 2004年10/10
  • 2003年 9/26

最大と最小を抜かして平均すると、10月4日。40日前は8月26日。

「水稲の移植栽培における晩限日の推定について」2011

図3.で狼煙町のコシヒカリ出穂期晩限日を見ると8月23〜28日

収量性に関する移植期の晩限設定は(中略)金沢における栽培試験結果(松本・田中 1988)では、6月15日移植で453kg/10aの精玄米収量が得られているので、(中略)6月11日は妥当な基準と考えられる。あるいは、稚苗から中苗への切り替え、密植などによって晩植への適応策を取り、(中略)6月23日まで晩限基準を緩めることも可能と思われる。

お、さっきの計算と合うな。

つまりこれまでに出穂してくれた稲たちはなんとかなるみたい。まだ出穂していない古代米はどうなるかな。来年はもうちょっと早く田植えを済ませられるように頑張ろう。でも、気になることがある。親父が「早稲は早く植えて早く採るんだ」と言っていた。これ、あんまりよく分かってない。

品種は、どの家でも早稲・なかて・晩稲(おくて)を適当に組み合わせて仕付していた。不作凶作は、夏季の冷害や、二百十日前後の颱風が多く原因するので、それに対処する考慮からのものであった。

農民生活変遷中心の滝沢村誌 | 第四編第二章第十三節

 

地域によって差が大きいので注意が必要ですが、 例えば伊勢・鈴鹿の周辺での田植えの時期は、早稲(ワセ)は新暦4月、 中稲(ナカテ)は新暦5月、晩稲(オクテ)は新暦6月でしょうか。 気温変動によっては、時期がずれるようです。

なお、一般に晩稲(オクテ)は、麦の収穫が終わった後で田植えされる種です。

結実時期はちょうど台風の季節とぶつかるので、栽培時期をずらして、 天候リスクを最小限に留めておくのだそうです。

深森の帝國一ノ四10-11

ああ、そうか。出穂期を台風とずらすのか。早稲を5/1に植えたとしたら、出穂期が6/21。晩稲を6/23に植えたとしたら、出穂期が9月11日。収量を主眼に置いた出穂期晩限日の計算からすると遅すぎるのだろうけど、冷害や台風害を避けるということを主眼に置くと、これでいいということなんだろう。てことは、苗代への種下ろしも早稲を先にするんだな。

自然農の場合、そんな1日で植えられるなんてことはないし、田植え時期も限られる。早稲を6月10日から20日に田植えとして出穂期が8月10日頃。晩稲を6月20日から30日として、出穂期が9月18日頃。なんか台風上陸の平均日により近くなった。むむ。刈り取りの労働力分散という狙いではこれでいいか。

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